今日は母の命日。
昨年の今日、19:10に亡くなった。
朝の時点で危篤になっていて、呼吸だけが続いている状態だった。
家族が集まって母の好きな曲を流したり声をかけたりして過ごした。
夕方、祖父が帰宅する事になり、自宅に到着するくらいのタイミングで息を引き取った。
祖父に無事に帰って欲しくて、帰宅途中に訃報が行かないよう待っていたのかなと思った。
一年経ったという感覚がない。
遠い昔に亡くなったように感じられて、去年の今日にはまだ息をしていたとは思えない。
母を想い出して涙が出るのは、日常の一部になったから、そこで動揺することもない。
ただ、亡くなる2ヶ月前に贈ってくれた手紙と、家族に向けた遺言に何度も救われた。
母は、気を遣いすぎて直接言葉にはしないけど、遺言書を見たときに母の底力を見せつけられた気がした。
自分が言葉を遺そうとするとき、相手のための言葉が紡げる自信はないけど、いつか母のように、何があっても根っこの部分は揺るがない人で在りたいと思った。
この一年、母が生きているときには見えなかったものが沢山見えた。
家族としても、自分としても、母を通して学び続けていると思う。
だから、命日に特別な思いがないのかも知れない。
毎日を共に生きてる感覚だから、母が本当の命日を迎えるのは自分が死ぬときなのかなと思った。
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